こんな風に生きてきました

14歳の奴隷ちゃんにグアテマラで出会った事が、”お花企画”を頑張ろうと思ったきっかけでした

 

 

こんばんは、たかえです(*´∇`*)

 

先日、
『あなたは何色にでもなれる花』
を久しぶりに一般販売しました。

 

おかげ様で、ご用意分は
すべて完売となりました。
(ありがとうございます!)

 

ご連絡いただけた中には
直接のやりとりは初めまして!な方や
5年〜20年ぶりだね!?
なんて方もいて、

 

それぞれの美しさをもった
花たちに

私の方がパワーを
もらいました。

 

 

ありがとうございます。

 

 

この記事では、
(作品をお届けさせて頂く事になった/ならないに関係なく)

 

今回『あなたらしい花』を、
お一人おひとりに作り、

一人でも多くの方へ
届けたいと思った、

”きっかけ”の話を
させてください。

 

 

お茶でも飲みながら
ゆったりとした気持ちで
お読みくださいね。

 

 

 

 

10年近く前、

25歳のころ、

 

14歳のある女の子に出会い、

数日間をいっしょに過ごしたんです。

 

 

 

その子と出会ったのは、
中米グアテマラ。
(日本だと、コーヒーが有名かな?)

(↑有名な市チチカステナンゴで撮った写真)

 

作品で使った刺繍リボンじゃないですが、
民族衣装のウィピルがあまりに美しく

 

『どうしても、この色に会いたい!』

 

 

スペイン語も喋れないのに

単身、世界の果てまで行ってQ!
したのでした。


(↑本気でアジア人がいない) (そして奇異な目で見られる)

 


 (↑色・色・色に溢れていた)

 


 (↑田舎に行けば行くほど、ウィピルに出会えた印象)

 

この民族衣装
おもしろくてね、

 

ただ綺麗なだけでなく

”町や、都市、
それこそ地域ごとに
模様が違う”という、

【土地に根付いた】
芸術だったんですよ。

 

だから、それを身につける人たちの
【生の声】を聞きたかった。

 

 

ただ、あまり治安は良くなくて

学生だった私が泊まった
安いホステルでも、

ライフルを持った2人が、
こわい顔して人の出入りを
チェックしているような所でした。


(高級住宅街の中同士でも、鉄格子。)

 

このホステルで、
使用人奴隷として
働いていたのが

タイトルの女の子、
クレメンタちゃんです。
彼女は当時14歳。

 

 

中学2年生の歳ですが、
学校へは行ったことがなく、
字は書けませんでした。

 

 

今を盛りに、と
花開いていく年頃で

お肌はプリッップリ、
笑顔はキラキラで
好奇心旺盛、

 

私の持っていた
英語のガイドブックに
興味津々の、
かわいい子でした。


(これは市場で見かけたかわいい子)
(『あなた、幸せ?』と問いかけるような顔をしていた)

 

 

自分の主人がいない隙を見て、
『たかえ!エングレス!』
(スペイン語でEnglish)
と本を指差し、

カタコトの英単語で
お話しようとしてくれるんですよ。

そりゃあ可愛いですよね。

 

 

 

このホステルオーナーは
【政府元高官の未亡人】で、

”ベッドも部屋も余ってるから”と
自宅を宿にしている有閑マダムでした。


いや本当に余りすぎでは?(まだまだ他にも部屋がある)


このような状態で、
話す人もいなかったので(笑)

 

このマダム、
セニョーラ・イザベルとは
よく話をしたのですが、

 

 

彼女曰く

『あぁ、クレメンタの父も母も
この家で働いていたんだよ』

『あたしが見繕ったのさ』

『クレメンタは
今14歳だけど、

18ー19になったら、
あたしが手頃な男を見つけて
嫁がせるよ』

 

 

『あの子には、まだまだ
うちで働いてもらわなきゃ
いけないからねぇ』

 

 

 

 

聞きながら、

サーッ・・・と

心が冷えていくのが

わかりました。

 

 

世界には、
そういう世界があるのは
知っていたし、

事実として、
分かって(理解して)いるつもり
でもいました。

 

 

でも、

一緒にいる子のことを
目の前にいる人から

生の音声で聞かされるのは、
やっぱり『強い』。

 

 

毎朝7:30、
『たかえ〜〜ブエノスディーア〜ス』
(おはようございます〜^^)
と、にこにこ声をかけに来て

卵と黒豆を炒めた
”グアテマラの朝ごはん”を
作って運んできてくれた

クレメンタちゃんの笑顔が
浮かびました。


(クレメンタちゃん作、朝ごはん)
(黒いのはグアテマラ定番おかず、黒豆。軽い塩味が美味しいと知った)
 

 

まだ、恋も知らない、

どころか

この家しか知らないあの子は、

 

 

字も読めず、書けず、

学ぶ事もないまま

 

あと4年で結婚させられて、

 

 

ずっと、

この家にいるんだなぁ

と思いました。

 

 

 

 

つたない英語で
話そう、話そう、と
目を輝かせていた彼女は、

 

本当に
”その”生き方を
望んでいたのかな、と
思ったら・・・

 

 

 

 

 

ダメですね。

 

 

勝手な感傷だとは
分かっているし、

口出しできる権利もないのに、
思わず泣きそうになってしまい

 

セニョーラ・イザベルに
断って席を立ち、

トイレで泣きました。

 

 

 

 

改めて、

『自分は何者で』
『どう生きていきたいのか』

考えろ、と
言われた
気持ちになりました。

 

 

 

「なりたい自分に、なろうとできる」

 

 

この国に、この時代に、

私が生まれたのは

きっと、まぐれです。

 

 

 

決して、

誰かより優れている

とかじゃない。

 

 

 

でも、

『生き方を選べる』

そのチャンスを
与えられていることは確かで

 

 

 

だったら、

1つひとつ
生き方を選んで、
誰かのせいにする事なく、

この生を、自分らしく
全うしたいと思いました。

 

(件の英語ガイドブックと、物売りの小さな子たちを断れず、買った人形たち)

 

 

 

どんな人と、
何を大事にして、
どんな風に生きていきたいか、

 

人生のどのステージにいても、
何度でも自分に問いかけて、
進んでいこうと思いました。

 

 

 

明日を生きる
ヒントになってくれている、
大切な記憶です。

 

 

・・・と、

【作品観】のレベルを超えて、
ちょっぴり重たい話に
なってしまいました。
ごめんなさい。

 

そんなこともあったんだな、と
聞いて頂けたらと思うのですが。

 

 

『あなたは何色にでもなれる花』

 

ここ何記事か書いてきましたが
その最後に

今一度、
お聞きしたいと思います。

 

 

あなたは

どんな場所で
どんな色で、

どんなときに
咲き誇る、花ですか。

 

 

”あなたらしい、あなた”と
こんな風に、これからも、
私は、ゆるやかに繋がっていきたい。

 

 

あなたらしい花、
私らしい花、

一緒になって、いっぱい笑って
これからも、咲かせていきましょうね。


それでは、ここまでお読みいただき
ありがとうございました!

たかえ

 

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