こんにちは、Takaé(たかえ)です。
一つひとつゼロからデザインし、できた画(え)をプラバンに転写することで『世界に一つだけしかない』作品を制作しています。
とは言っても、まずは、誰?^^;
と言うことで、ここには自己紹介を。
…長いですよ?笑
「プロフィールは必要なーい!」という方は、ページトップの”Takaé earrings”をクリックして、楽しんでいってくださいね。
。.:*・゚☆
Contents
小学生~描くことが生きることだった
オシャレでもなく、目立ちもしない、
ボゲーっとしたメガネ娘。
『将来の夢は?』と聞かれたら
「うーん、…図工に関係あること!」
そんな、描くこと大好きマンでした。
高学年にもなると
ゆるい天パの髪は、無残にもうねり始め、
元来【食べるのが好き】な上、
太りやすい体質なのも相まって、どんどん…
どんどん…
”華やかな存在にはなれない”
そんなの、小学生だって
なんとなく感じるものです。
そんな私にとって
『作品を作って、他人に褒められること』
それだけが、自分が誇れる存在意義だと思っていました。
中学生~描くことだけは、自分を自由にさせてくれた
小学校を卒業する頃には
《立派な小デブ》となっていたものの
マイペースなアーティストとして
なんとか市民権を得ていましたが…
中学に入学したら、まあね、
上手くいかなかった。
それまで、仲のよかった友達たちから
シカトされるようになったのです。あいたたた…
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移動時間も、休み時間も
誰かから誘われることがないので
どこへ行くにも、基本一人。
会話をつづけたくて、話しかけても、
会話どころか、相づちさえ打ってもらえない…
この頃の友は、
泣き場所だった女子トイレと、
鉛筆と、紙。
【描くこと】は私を責めなかったし
自分から生まれる世界は
自分だけのものでした
やりきれない想いを、
線に、筆に乗せて、描く。
ひたすら紙に向かう事で、
周りをシャットダウンする。
「描くこと」に、随分と救われた3年間でした。
高校時代〜サラリーマン生活で、描くことを断捨離〜
高校は『成績さえ落とさなければ、何してもOK!』という自由な校風の都立高校へ。
中3の終わり、メガネを外して
コンタクトにしたのを皮切りに
髪は茶色に染めあげ、
ストパーをかけ(時代…)
いっちょまえにお化粧までして
俗に言う高校デビュー、なのか!?
完全武装で高校生活スタートです。
…そして、数ヶ月後、
立派なサラリーマンになっていました。
あれ…?
いえね、中学から続けていたからという理由で
いたずらに吹奏楽部に入部したら
見事に、月・月・火・水・木・金・金!
スケジュール真っ黒!な部活だったんです。
とにかく毎日毎日、朝から晩まで楽器漬け。
中学から一転、絵を描くことから一気に身を引く高校生活になりました。
どんな形でもいい、美術の道に進みたい
「将来は、図工に関係のある仕事につく!」
キラキラと語っていた子供は何処へやら
高3になる頃には、私は良くも悪くも
「疲れた大人」になってしまっていました^^;
挑戦しすぎない私立のそこそこ美大を受験し、合格をいただくも入学金が高く、棄権。
分かっちゃ、いました。
美大は、学費が高すぎる。泣
それでも、それでも…!
何の形でもいい、美術の道へ…!
こうして、お金のなるべくかからない
国立大教育学部の美術専攻へと進路を決定することになりました。
大学生(1)〜入学したものの、自分を見失う〜
晴れて大学入学、晴れて部活からの解放…!
キャンパスライフを謳歌する予定だったのに、意図せず鍛えられてしまった指示待ち体質のせいで、今度は大学の自由さに、カルチャーショック。←
思ったよりも課題も大変じゃないし、何より、美術というよりやっぱり教育メイン…。
入学一ヶ月で見事に腐り、気づけば…
キノコとして生きていました←NEW!
そんな時、高校からの仲良しが
◯ースボートで世界一周に行くことに。
『世界を見てくる!』
そう言う友人がキラキラして見えて…
「そうか、日本に生まれたからって、
大学に入学してキノコ歴2年以上、
ようやく、進むべき道が見えた気がしました。
大学生(2)~ふりきったら開眼しました
『海外の大学に編入したい』
就活が始まる年に、こんなことを言い出した娘。両親は目が点だったに違いありません。
出された条件は
『就活で内定を取ること、
そして留学先からも合格をもらうこと』
『その上で選ぶこと』
就職…と言ってもイメージが湧かなかった私は
教員採用試験に、的を絞ります。
同時に、大学の講義レベルの
英語力もつけなければいけない…
うおお、キノコ、本気出す!
一応美術専攻だったにもかかわらず、
4年間で、大して作品も作らないまま、
卒業の日は近づいていきました。←
留学〜圧倒的なインプット量に、毎日が死闘の日々
《ひたすら課題が多い》
《課題が終わらず→学校に寝泊まりからの》
《そのせいで〆切前は棟内で風邪が蔓延》
…こんな環境なのもあり笑
国籍、人種、性別(さらには性嗜好)関係なく
お互いの肩をなんとか支えながら
みんなで学位取得を目指しました。
朝方4時。
前の晩から徹夜で作業。
疲れた笑いを浮かべながら、
一緒に作品制作をする。
「Are you still alive?(ねえまだ生きてる?)」
「Nop! (NO!笑)」
中学の時、”誰かと”を感じられなかった、
あの頃の私が
報われた気がしました。
作品制作が、楽しく、苦しく、楽しい!
そんな、体力的にはなかなかハードな学生生活でしたが、絵画、デザイン、彫刻、彫塑、デッサン、カメラ、版画…と、ありとあらゆる芸術に触れ、自らの手で試行錯誤し、作る機会を得ます。
また、少しでも学費を抑えたい、と学内外を飛び回って(返済義務のない)奨学金は手当たり次第応募していたので、学年末の授与式には「奨学金ドロボー」のような有様になっていました。
帰国〜こんなことが起こるとは
3月10日。
何の用だったか、Skypeクレジットを使って実家に電話をし、祖父と話したのを覚えています。
そして、2011年、3月11日。
未曾有の地震が日本を襲ったあの日、
私は、日本にいませんでした。
翌日、「日本は大丈夫!?」「家族や友達は、無事!!?」出会う誰もが、ものすごく心配してくれて。
電話は一切繋がらないまま、
数日が経ちました。
不安を煽るかの如く、およそ本当に起こったとは思えないような映像が、テレビで何度も何度も放映されます。
苦しかった。
自分の生まれ育った、大事な、大事な国。
そこに住む、大切な、大切な人たち。
さらなる学位を目指してアメリカに残るか…
迷っていた心に、火が灯ります。
「日本のために、今できることをしたい。」
社会人と言う名の社会不適合者~5年で職場を3回変えて
変な時期(12月)に帰国して、
臨時採用で働き始めた小学校
これがまぁ…、試練の連続でした。
「好きなものは、だーいすき!」
「嫌いなものは、大っ嫌い!」
子供は誰もが清らかです。
本当に、誰もが素晴らしい力をもっている。
そして、純粋であるがゆえに、
その純粋さが刃となることもあります。
そんな子どもたちに対して、私は
”先生”と言う名前ばかりをもらってしまった、
ど素人でした。
『どうしたら、子ども達も私も
良い時間を過ごせるのかな』
心を通わせるテクニックを習得するのに、1年、…うーん、2年以上かかったかな。
「担任は、ごめんなさい、もう持ちたくない」
「一つの教科を専門的に教えたい!」
自分のしたい働き方を押し切れる訳ではないのは分かってた。だから、いっそ潔く!フルタイムで働くのをやめました。
担任がね、ダメって訳じゃないんです。
私が、”どれもこれも全部”なのが合わなかっただけ。
そして、専科教員として、
パート勤務の道を歩むことになります。
出会っちゃったよ、ハンドメイド活動の始まり
上司には、
「いつまで夢を追うんだ」
先輩には
「いつまで腰かけでいるの?」
そう、言われました。
「なんで、正規で働かないの?」
「定年後のこと考えたら、
絶対正規で働くべきだよ。」
「なんで、採用試験を受けないの?」
なんとか笑って受け流したけれど、
その実、心が折れそうでした。
不器用なのは分かっています。
それでも、私は、私が望む生き方をしたい。
1〜2年で、フラリ違う学校に飛ばされる、
ジプシーのような教員をやっていました。
そんな時、今のハンドメイド活動のきっかけとなる出会いをします。
心をバッキバキに折られてばかりの教員1年目の終わり。実家で古ーいプラバンを見つけたんです。
懐かし〜い!と家に持ち帰り、遊んでみたら…
その奥深さに、まんまと引き込まれてしまいました。
出会っちゃった、ってやつです。
『これ、ピアスにしたら可愛いんじゃないかなと思って』
『ゼロから手描きで作ってみました』
『レジンをガラス風にしています』
どう思われるかな…
おそるおそる写真をアップしたら
友人達から「可愛い!欲しい!」
とコメントをもらえたんです。
それが嬉しくて、嬉しくて…
もっと、もっと良い作品が作りたい…!と思うまでに、時間はかかりませんでした。
デザインは、全てゼロから作っています
私が作る作品は【市販のパーツを購入し、それらを組み合わせた】ものではありません。
毎回、デザインからアイディア出しをし、画に起こし、それをパソコンに取り込んで、色味や形を調整してから、一つひとつプラバンに転写させています。
画がのったプラバンには、アクリルガッシュで着彩をし、レジンでコーティングをすることで仕上げています。
アクセサリーというより、がっつり作品制作です。笑
1組作るのに、何時間もかかっているため、オーダーをいただいてからお届けまでに一定の時間がかかり、また大量生産もできませんが、それぞれ風合いの違う「たったひとつの」作品を、お楽しみいただけたら、これ以上嬉しいことはありません。.:*・゚☆
作品に対する想い
なんで、留学までして技巧を学び、作ってきた版画や絵画作品ではなく、アクセサリーなのか。
それは、『身につけてもらえるアート』だからです。
美術作品は、何万円、何十万円というお金を出しても、お宅の中でひっそりと佇んでいるだけ。しかも、忙しい現代社会に生きる私たち。どれだけの時間を、家で過ごすというのでしょうか。
残念ながら、長くはないですよね。
それならば、作品を家に飾る代わりに、
あなた自身がギャラリーとなって、どこの誰とも違った作品を耳元で揺らしてみませんか?
もっと、身近にアートを感じていただけたら…
そんな想いで、今日も制作活動をしています^^
終わりに…。.:*・゚☆
作品一つひとつには、物語があります。
何を見て、どんな風に感じて、それが作品になったのか。作品ができたエピソードも、制作中の風景も、全部このブログに記しています。
心を込めて、お返事させていただきます!
どうぞ、【作品の裏側】覗きに来てくださいね!
それでは、こんなになが〜〜〜〜いプロフィール、最後までお付き合いいただきありがとうございました♡
それでは、Bon voyage!
Takaé
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